女優でタレントの黒柳徹子さんは日本テレビ史を代表する人物でもあり、現在の年齢は90歳にも関わらず今もなお多くのテレビに出演する人気タレントでもあります。
そんな黒柳徹子さんですが、若い頃の顔画像が超美人と話題です。
若い頃これだけ美人だった黒柳徹子さんですが、今もなお独身。結婚しなかった理由は何なのでしょうか。
この記事では、
- 黒柳徹子の若い頃が超美人!若い頃〜現在までの顔画像まとめ
- 黒柳徹子が結婚しない理由は仕事&国際恋愛が理由だった?
こちらについて詳しく紹介しています。
【画像16枚】黒柳徹子の若い頃が超美人!

「徹子の部屋」や「世界・ふしぎ発見!」でおなじみの黒柳徹子さん。
現在90歳ですが、年齢を感じさせないパワフルな芸能界の第一人者です。
テレビ草創期からのご活躍で、日本のテレビ女優第一号、キャスター、テレビ司会者、エッセイストと肩書もたくさんあり、ユニセフ親善大使として社会貢献にも精力的です。
そんな黒柳徹子さんの若い頃がとても可愛くて美人と話題ですので、ご紹介していきます。
黒柳徹子の若い頃〜現在までの歴代顔画像まとめ
黒柳徹子さんは、1933年8月9日、東京都赤坂区に生まれました。
太平洋戦争が始まるまでの幼少期は東京で生活しますが、通っていた尋常小学校では「問題児」とされたため1年生の時に退学、私立のトモエ学園に転校しています。

お転婆で一風変わった子供だったことが伺えるエピソードですね。
黒柳徹子の20代画像
黒柳徹子さんの最終学歴は東洋音楽専門学校声楽科なのですが、卒業後はNHK放送劇団の俳優募集の広告に応募、見事合格。

6000人中13名の狭き門!
黒柳さんが俳優に応募した動機は、「将来自分の子どもに人形劇や絵本の読み聞かせを上手にできるお母さんになろう」と思い立ち、「ひょっとしたら絵本の読み方も教えてくれるかもしれない」というものでした。
黒柳徹子さんらしいですね。


こちらの写真も20代の頃ですが面影がありますね。

この頃叔父さんにもらったパンダのぬいぐるみがお気に入りで、パンダ好きは現在にまで至っていますね。
その後人気番組にも出演するようになった黒柳徹子さんは、1958年の『第9回NHK紅白歌合戦』で紅組司会を務めるほどに。
20代後半にはテレビとラジオのレギュラーが週に10本を超え、平均睡眠時間3時間という日が続いて過労で入院してしまいました。
黒柳徹子の30代画像

30代になった黒柳徹子さんは、NHKを退所し、演技の勉強をするために単身ニューヨークに渡ります。
一旦すべての仕事を辞め、2~3年掛けてニューヨークでの一人暮らしを満喫する計画を立てたそうです。

友人を自宅に招いて食事をふるまったり、セントラルパークを自転車で散歩したりと、演劇の勉強をしながら一人暮らしを楽しんでいたようです。


この時、黒柳徹子さん38歳!
トレードマークの玉ねぎヘアーもこの頃に完成していたようですが、どの画像もとてもチャーミングで生き生きとしていますね。

ニューヨークを振り袖姿で闊歩する黒柳徹子さん。
素敵ですよね。
黒柳徹子の40〜50代画像
40代の黒柳徹子さんは、司会者として活躍されています。
1976年、43歳の時に「徹子の部屋」が放送開始。

言わずと知れた、現在も続いているギネスブックに載るほどの超長寿番組です。
1978年、45歳の時には「ザ・ベストテン」の放送開始で司会者を務め、久米宏さんとの軽妙な掛け合いで人気を博します。

また、1981年、48歳の時に自叙伝となる「窓際のトットちゃん」を出版。
当時、戦後最大のベストセラーとなりました。
50代になった黒柳徹子さんもテレビや舞台に精力的で衰えを知るところがありません。
1986年、53歳の時に始まった「世界・ふしぎ発見!」は現在も続いている教養クイズ番組で、当初から出演しているのは司会の草野仁さんと黒柳徹子さんだけだそうです。

1989年、58歳からは、舞台女優としても「海外コメディ・シリーズ」の上演を開始。

50代になって円熟味も増し、ますます素敵ですね。
黒柳徹子の60〜70代画像
黒柳徹子さんは、60代、70代になっても舞台に精力的です。

また、1984年から続けているユニセフ親善大使としての活動も並行して続けられています。

地雷や内戦、殺戮のある中で「なぜ行くのか?」の問いには
「ユニセフ親善大使として少しでも皆様に知ってもらう。(だから)あまり大変と思わない。何かあったら、その時はその時でね。戦争を通してきた人間って、そういう所が有りますよ。だって、いつ死ぬか分からなかったんですから、小学生の時から。飢えた事も親のいない寂しさも(疎開経験で)分かり合えますから」
と答えていました。
自らの戦争体験が大きな引き金になっているようです。
黒柳徹子の80代〜現在

黒柳徹子さんは、現在90歳ですが、「徹子の部屋」と「世界・ふしぎ発見!」は現在も出演し続けられています。
いつまでも元気な姿を拝見したいものですね。
黒柳徹子の若い頃|結婚しなかった理由は?

黒柳徹子さんは、現在も独身です。
若い頃から美人で可愛い方でしたが、なぜ結婚しなかったのでしょうか。
理由①仕事に邁進していた
黒柳徹子さんは、20代前半の頃にも結婚を考えた人がいたそうです。
しかし、彼から「結婚してもいいけど、結婚ってそんなに面白いものじゃないよ」と言われたことがきっかけで仕事の道を選び、破局。
20代の黒柳徹子さんは芸能界の仕事で多忙を極め、結局結婚より仕事を選んでしまったのでしょう。
理由②国際恋愛を40年するも結婚には至らなかった
実は30代の頃に大恋愛をしたと、2023年11月10日放送の「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」で明かしています。
お相手はフランス人のピアニストで来日公演で知り合ったんだとか。
海外生活がほとんどの相手と会えるのは年に1〜2回で、FAXでの文通が続いたといいます。
2012年まで交際は40年間も続いていたそうですが、結婚には至りませんでした。
「ただ、国際結婚というのはなかなかね。私が仕事を辞める、向こうが仕事を辞めるかすればできるけど、そうしなければできないですよ」と話し、「結局、最後はその方、亡くなったんです。パーキンソン(病)。ピアニストにとっては致命的ですよ」
黒柳徹子さんも、芸能界での仕事やユニセフ親善大使の務めで多忙を極めていたので、仕事を辞めて海外生活ということは考えられなかったのかも知れません。
恋人が亡くなってしまってからは、結婚のタイミングも失ってしまったと語っていました。

六本木でデートをしたこともあったそうで、ご飯を食べに行ったり手をつないで歩いたそうです。
黒柳の経歴Wikiプロフィール
黒柳徹子の基本プロフィール

- 名前:黒柳徹子(くろやなぎ てつこ)
- 生年月日:1933年8月9日
- 年齢:90歳(2023年11月時点)
- 出身:東京都赤坂区乃木坂
- 学歴:トモエ学園、香蘭女学校、東洋音楽専門学校声楽科卒業
- 職業:女優、タレント、テレビ司会者、エッセイスト
黒柳徹子の学歴|東洋音楽専門学校を卒業
黒柳徹子さんは、幼少期は「問題児」とされたため、尋常小学校を1年生の時に退学させられています。
その後私立のトモエ学園に転校するのですが、そこでの学校生活がのちの黒柳さんの人格形成に大きく作用したようです。
中学高校は香蘭女学校、大学は、東京音楽大学の前身東洋音楽専門学校声楽科を卒業しています。
音楽専門学校ではオペラ歌手を目指していたそうです。
ちなみに黒柳さんの父親はバイオリニストの黒柳守綱さん、母親はエッセイストの黒柳朝さんです。

徹子さんの才能はご両親譲りなんでしょうね。
黒柳徹子の経歴|NHKに女優で入社〜司会者・エッセイストなど幅広く活躍
1953年にNHKに放送劇団に入団してからは女優から司会者、エッセイストとして幅広く活躍されています。
1953年 NHK放送劇団に入団し、テレビ女優の第一号としてデビュー
1958年 「第9回NHK紅白歌合戦」で紅組司会を務める
1961年 「第1回日本放送作家協会賞・女性演技者賞」受賞
1971年 1年間ニューヨークへ留学
1970年代 「音楽の広場」「おしゃべりオーケストラ」などNHK音楽番組の司会
1976年 テレビ朝日「徹子の部屋」の放送開始
1978年 TBS音楽番組「ザ・ベストテン」放送を開始
1989年〜「海外コメディ・シリーズ」の上演を開始
1997年 「幸せの背くらべ(英語版)」および「マスタークラス(英語版)」での演技により第38回毎日芸術賞ならびに第4回読売演劇大賞の大賞・最優秀女優賞を受賞
1981年 自身の著書「窓ぎわのトットちゃん」出版。単行本・文庫本を合わせて累計800万部を発行
1984年〜 国際連合傘下のユニセフ(国際連合児童基金)親善大使
1986年 TBSクイズ番組「世界・ふしぎ発見!」放送開始
2003年 勲三等瑞宝章(現:瑞宝中綬章)受賞
2023年 「続・窓際のトットちゃん」刊行
90歳になった現在も精力的に芸能活動を続けている黒柳徹子さん。
いつまでもお元気で第一線で活躍してほしいですね。